高山 文五郎・専蔵・富重

高山 文五郎・専蔵・富重

高山 文五郎・専蔵・富重 (たかやま ぶんごろう・せんぞう・とみじゅう) 
   
写真:高山文五郎の彫刻が残る御朱印蔵(河北町紅花資料館) 

 神社や仏閣などの正面入口に突き出た部分を向拝といいます。この柱の上部の三角形の隙間を手挟(たばさみ)といい、その手挟や虹梁、内部の欄間等に龍や鳳凰などの霊獣の彫刻が多く見られます。
龍彫(かごぼり)という手法で職人の技の粋の見せ所です。彫刻師・髙山文五郎は、幕末から明治にかけて、数多くの作品を残した希代の名工でした。また、2人の息子(専蔵と富重)も父の薫陶を受け、県内外に優れた作品を残しました。

◎髙山文五郎
 天保の初期(不詳)西川町沼山・荒木家に生を受け、長じて河北町谷地の髙山家に婿養子に入りました。若くして彫刻の技を左沢の林文作(慶斉)に学び、更に江戸に上り、彫刻師御三家の一つ後藤本流の名人五代茂右衛門正綱(京橋)の門下に学んだと言われます。代表作は、岩根沢三山神社「虹梁の龍」、堀米四郎兵衛家「御朱印蔵入口虹龍」、慈眼寺本堂向拝の龍等があります。

◎髙山専蔵
 安政元年(1854)4月谷地松橋で文五郎の長男として生まれ、父の技を継承し豪放な中に繊細さが光る作品を残しています。
 代表作は、宮城県金華山黄金山神社本殿彫刻一切、谷地定林寺本堂の彫刻、西川町龍源寺「松の一匹龍」等があります。

◎髙山富重
 安政3年(1856)3月谷地松橋で文五郎の次男として生まれ、地方稀に見る名工として称えられました。作風は素朴かつ大胆で龍を最も得意としました。代表作は、定林寺山号額の龍(兄専蔵との合作)、能登(石川県)総持寺祖院の欄間彫刻、鶴見総持寺の欄間彫刻など、2人の作品はいずれも鮮烈で仲間から嫉妬や反感を買い、不遇を強いられたという様々な逸話が残っています。