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河北町は「べに花の里」です。江戸時代には、特産の「最上紅花」(昔は村山地方を最上といいました)が植えられ、可憐な花びらは紅餅(花餅)となって、はるばる京都へ送られました。そして、京都の紅屋の手によって紅餅から真っ赤な紅がつくられ、それが京おんなの唇を彩るとともに、紅色の美しい衣装を染めあげました。
神秘的とも思える紅の美しさは、いつの時代も女性のあこがれのまとでした。
それほどまでに貴ばれた紅花でしたが、明治になると外国産の化学染料に押されて姿を消してしまいました。しかし、その後も宮中や皇太神宮の式典で用いられる服装はいつも本県産の紅花で染められ、紅花はひそかに生き続けてきました。
この資料館は、近郷きっての富豪だった堀米四郎兵衛の屋敷跡で、屋敷には武器や生活用品および古文書など5,000点を保存しています。昭和57年にこれらの寄贈を受け「紅花資料館」として昭和59年5月に開館したものです。
堀米家は、元禄の頃から農地の集積を行い、文政年間から明治期まで名主や戸長を勤めた家柄です。その間、米、紅花などの集荷出荷などによって財をなしてきました。
特に紅花は、文化年間(1804〜1818)から精力的に取扱い、河北町内でも指折りの豪商に成長しました。蓄積された財貨は、農地の開拓や金融に向けられ、大名貸しも行っていたと考えられます。伊達藩白石城主や庄内藩酒井公の拝領品が保存されていることからも推察できます。
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