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伝統文化林家舞楽林家舞楽

 西紀前、高次文明をもって世界史の巻頭を飾った、シルクロードの国国。オリエント・天竺・ガンダーラ・康国・亀茲・疏勒・安国・高昌そして中国。
 古代文明びとは、躍動する感情を、美しく或は力動的に、器楽曲と舞とに織りなした。それらは前二世紀、前漢による絹街道の開通によって出あい、世界の都長安へとあつめられた。いずれの中国皇帝もこの外来の芸術音楽にとって、最良の理解者だった。
 つづく六〜八世紀にかけて、雅楽は儀式楽として、仏教とともに極東の国日本の王都に続々ともたらされた。この新来の演劇音楽を、一見して価値を認められた聖徳太子は、直ちに国立劇場・研究所を設立して伝習に当り、仏教の儀式楽として流布をはかられた。
 太子はまた、自ら建立された難波天王寺に、渡来の楽人を配属しその伝習にあたらせた。天王寺に定着した楽人はそれぞれ、林、薗、岡、東儀の姓を賜り、代々世襲の家業として受けついだ。その林氏の一派が、山形路に直系一系の舞楽を司る「林」氏の出自である。



慈恩寺と立石寺は、東北で最大の古刹である。東北に典雅な舞楽をもたらしたのは、この二大寺の存在にある。平安初期貞観二(860)年円仁(慈覚大師)により、立石寺が開創されると、儀式楽を司るべく、天王寺楽人林越前政照はその命をうけて、楽人一派を率いて奥羽に下り定住した。造寺・造仏・儀式荘厳の熱が全国を覆った時代だった。
 林家舞楽は、早く地方に下ったため、平安中期以降の楽制改革(日本化)の影響が少なく、よりシルクロードのおもかげをとどめていると評されている。地方伝承のためかなり様変わりしている事も事実であるが、伝えあって以来千三百年、奥羽に移って千百余年、シルクロードの遺宝が、本質的に変らず伝承されていることにまずおどろくのである。

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