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    大 塚 文 雄 氏(おおつか ふみお)造山出身
     民謡と言えばやっぱり”大塚文雄”。18歳で民謡歌手を志して上京。澄み切った高い声が大塚節民謡をつくりあげ、今や不動の座に。ラジオやテレビにひっぱりだこです。
    大 泉 逸 郎 氏(おおいずみ いつろう)造山出身
     昭和55年に民謡日本一に輝く。これを期に、カラオケ教室や結婚式の司会など幅広い活動を展開してきた。昨年、音楽関係者の目にとまり「孫」が、大ブレークし150万枚を売り上げた。本業はあくまでもさくらんぼ農家と言い、自称”兼業歌手”第二弾「孫びいき」をリリースし、益々元気な58歳です。



    新 関 良 三 氏(にいぜき りょうぞう)
    明治22年8月4日生〜昭和54年4月27日没(1889〜1979)
    受賞年月日 昭和44年5月30日
     昭和13年に文学博士となり、第二次大戦後、学習院大学をはじめ多くの大学の大学院講師を務め、昭和33年ギリシャ・ローマ演劇史で学士院恩賜賞、日本芸術院賞を受賞するなど、特に西洋演劇史の研究について、国際的に名声を博した。
    逸 見 梅 栄 氏(へんみ ばいえい)
    明治24年5月11日生〜昭和52年11月14日没(1891〜1977)
    受賞年月日 昭和45年5月18日
     昭和9年文学博士となり、日本文学界において、常に権威ある活躍をし、特に印度美術などを中心に宗教美術の学術研究に尽くされた。
    名 和 三 幹 竹 氏(なわ さんかんちく)
    明治25年3月4日生〜昭和50年5月31日没(1892〜1975)
    受賞年月日 昭和50年6月20日
     大谷大学在学中より、俳句に志し、句仏上人に師事し、俳誌「懸葵」の編集に当った。
     帰町後は地方俳壇の開拓と指導に尽力され、「紫苑」「銀嶺」の選者、「ひまわり」の選者なども務めた。
    逸 見 武 氏(竹石)(へんみ たけし)
    明治21年12月12日生〜昭和58年4月7日没(1888〜1983)
    受賞年月日 昭和54年4月4日
     漢詩、篆刻、俳句を学びいずれもその道を極められたが、俳句は明治の末から「八千代吟社」の同人として活躍、中央俳誌にも多くの作品を発表し、その句風は高く評価されている。
    原 田 嘉 兵 衛 氏(はらだ かへえ)
    明治38年3月26日生〜平成5年3月22日没(1905〜1993)
    受賞年月日 昭和54年4月10日
     日本地理学会々員、国際地図学会々員として、地学の研究で国内外から高い評価を受けた。
     本町全域の地下構造調査を実施、地下深所から温泉を掘り当てるなどして、本町の地域開発に多大な貢献をされた。
    今 田 信 一 氏(こんた しんいち)
    明治34年6月22日生〜昭和60年2月9日没(1901〜1985)
    受賞年月日 昭和57年3月27日
     河北町誌編纂委員長を永く務められ、「河北町の歴史」の刊行にその主筆として心血を注がれた。
     特に最上べに花研究においては、その権威者として学会・専門家の間から高く評価されている。
    宮 本 忠 孝 氏(みやもと ただたか)
    明治36年1月8日生〜昭和62年12月17日没(1903〜1987)
    受賞年月日 昭和57年3月27日
     昭和19年医学博士となり、「乳児フェニエル、ケント尿症」の検診普及、「心電図測定」の導入など保健衛生に尽力されたほか、「谷地かぐら」「ひな市」「沢畑風祭太鼓」などの郷土文化を県内外に広く紹介するなどし、本町の観光振興にも大いに貢献された。
    市 川 清 矩 氏(いちかわ きよつね)
    大正2年3月10日生〜昭和57年12月26日没(1913〜1982)
    受賞年月日 昭和58年4月1日
     河北地区合併促進協議会を発足し、一町三ヵ村の合併と成立、「河北町」を誕生させた。
     5期20年にわたって町長職に在り、他自治体に先駆けて行政全般 にわたる諸事業に取り組み、今日の本町の基礎を築かれた。
    菊 地 匡 氏(きくち ただし)
    明治41年10月3日生〜昭和63年10月10日没(1908〜1988)
    受賞年月日 昭和63年10月11日
     長年にわたって町議会議員要職と町長職に在り、県立河北病院新築移転事業、4つの中学校を統合した河北中学校建設のほか、河北福祉会の設立など地域社会の福祉向上、医療行政の振興に尽力された。
    柴 田 秀 夫 氏(しばた ひでお)
    明治36年12月3日生〜平成9年1月4日没(1903〜1997)
    受賞年月日 平成7年2月22日
     昭和10年医学博士となり、昭和22年に日本医療団谷地病院を発足させ、初代院長に就任。翌々年県内最初の県立谷地病院に移管させ、初代院長に就任された。
     医師の傍ら「ひまわり句会」を発足し主宰となり地方俳壇の指導育成に尽力された。
    尾 形 喜 代 治 氏(おがた きよじ)
    大正3年2月25日生〜
     尾形さんは、昭和11年、23歳のときに、将来彫刻で身を立てようと決心して上京し、内藤伸さんの門に入りました。その後、昭和14年からは、帝展審査員の澤田政廣さんに師事。昭和16年の第4回新文展で「撃」(木彫男の裸体立像・谷地中部小学校所蔵)が初入選して以来、その名声を中央美術界にとどろかせ、昭和36年には日展委嘱となりました。さらに、昭和37年から昭和63年までの間に日展審査員を5回も務めるなど、彫刻の世界で確固たる地位 を確立されています。平成6年からは日展参与に就任され、その活躍は中央だけにとどまらず、昭和26年に在京の郷土美術家4人と結成した「同樹会」の作品展を各地で開催。郷土美術の啓発に努められました。
     昭和58年と昭和60年に紺綬褒章に輝いています。
    茂 木 清 夫 氏(もぎ きよお)
    昭和4年12月28日生〜
     茂木さんは、昭和29年に東京大学地震研究所に入所。火山学・地震学の研究に努め、昭和37年には理学博士となりました。昭和44年に東京大学教授、昭和63年に東京大学地震研究所所長、平成2年に東京大学名誉教授・日本大学生産工学部研究所教授となり、その間、独創的な理論を展開して多くの複雑な地震・火山現象を合理的に説明することに成功し、合わせてこれらの予知・予測に大きく貢献されました。
     その一方で、学内・学外を問わずさまざまな要職を歴任して、研究の成果 を防災の分野においても発揮し、大きな足跡を残されました。
     昭和57年に米国地球物理連合表彰、平成5年に国土庁長官表彰、平成8年に気象庁長官表彰に輝いています。