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資料提供:田宮印刷(株) 写真撮影:阿部写真館  *無断複製転用禁止

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雛の紹介
享 保 雛
(河北町所蔵)
古式享保雛
(国井ロ一家蔵)
享 保 雛
(国井ロ一家蔵)
 ひな人形の歴史の中で最っとも豪華で華美の時代はないといわれている。その姿は角張っており、女雛は五衣、唐衣、裳を着け、着地はいづれも金襴や錦を使っている。この雛は本町内の享保雛でも小振の品で50糎位のものである。
 雛が様式化され段上の雛が姿をみせ始めたのは、寛永時代に端を発したものと思われる。元禄時代に雛道具も加えられ、更に華麗さをもつようになる。
この雛は、元禄雛に非常に近く(女雛の袖 口にご注意ください)。豪華さを競った享保雛への移行時期のものかと思われる。
 清涼殿の雛屏風を背景にした内裏雛は、小振りであるが享保雛である。本品は約27糎位の男雛。装束の裂地からして享保6年の倹約令による寸法制限の影響を受けたものか。
…銀製の花生けや道具、遊具がその時代を偲 ばれる。

古 今 雛
(黒沢浅吉家蔵)
古 今 雛
(柴田菊生家蔵)
古 今 雛
(升川修家蔵)
享保雛がしだいに豪華を競うようになり、町奉行は贅沢禁令の御法度を発し、以後、次郎左エ門座雛が定まれる寸法の範囲で作られる。更にこれに対して古今雛が生まれる。雛商がそれぞれの独自の趣向により、さまざまな容姿の雛が誕生、古今雛にも新しい意匠が試み出される。この雛もその一つで江戸後期に近いものであろう。
 古今雛は明和(1764)のころ江戸の大槌屋か、 原舟月に顔を作らせたもので、これがこのての原型となる。川柳に「いい細工、顔もてらてら舟の月」と詠まれ、次第に古今雛が流行 し明治迄つづく。
 江戸川柳に「いい細工、顔もてらてら舟の月」と詠まれているように、上野池端の大槌屋が、原舟月に顔を彫らさせ売り出したのが今から約220余年前(明和(時代)の新型の雛で、これを古今雛と称している。
 現代雛のルーツとも言われている。

有 職 雛
(国井ロ一家蔵)
立 雛
(細谷巌家蔵)
三人官女
(林重見家蔵)
 有職故実に忠実につくられた雛を有職雛と称している。本品は、衣冠姿の有職雛である。衣服とかぶり物をつけた姿を総称して衣冠と言う。男雛の袍の紋様は、飛雲に飛鶴紋で親王の衣紋とされている。女雛は桂袴と称し、女房の常服を着している。男雛の高さは38cmと大振りな有職雛である。
 初歩的な人形は紙雛で、白紙の雛を色紙で作るようになり、更に思い思いに紙雛に装飾を加えたり胡紛の置上げと豪華になっていった。本品は縮緬の生地に松と藤花を色糸で刺繍したものである。男雛は烏帽子でなく冠であったが巾子(髪上げを納める筒)が欠落している。なお双方とも木製の頭である。
 明治中期以降になると段飾のセットものが出始める。その一つの三人官女で一品作品のものである。約23cmの官女で綾織白三重襷の小袖に、塩瀬羽二重のねじまち袴を着す。中央の座している官女は妻帯者で留袖、顔は典型的な古代の日本美人を現している。

五人ばやし
(河北町所蔵)
隨身
(浅黄勘七家蔵)
衣裳人形[稚児文殊] 
(鈴木玲子家蔵)
 右からいうと、地謡・笛・小鼓・大鼓・太鼓の順である。
 衣装は小袖が紅縮緬に金糸縫取りに金襴の裃を着し侍烏帽子を頭上に冠している江戸後期の作品かと思われる。顔の表情は、それぞれ異なりお囃しの雰囲気が漂ってくる。
 隨身とは、平安の昔、近衛の舎人のことである。この隨身は、牡丹唐草の袍を付け、顔の表情は極めて威厳に満ちている。江戸後期の作かと思われる。
 文殊菩薩は象の上に乗っている佛像が多く、それにヒントをえて、張の象に可愛らしい稚児を乗せている。この手を稚児文殊と称した衣装人形である。子たちの学業成就を願ったものであろう。

舞 姫
(柴田菊生家蔵)
牛 車
(槙常司家蔵)
御殿飾り
(和田多聞家蔵)
 寛政(1790)頃に親王雛の外に常雛として多くの雛人形が世に出るようになる。この人形は古今雛の女雛を立たせ舞姫に仕立てたものである。衣装はまったく古今雛と同様にしつらえている。
 本品は弘化二年(1846)に求め、玉津嶋姫明神の箱書となっている。
 雛壇の添え人形として、緋毛氈に姿を見せるようになるのが、江戸中期といわれる。
 この牛車は、大正期のものと思われ、太刀浅沓を持つ童子は水干を着し、使丁は、牛を引く者、台傘、立傘を持つ者は白丁を着しており、王朝の雰囲気が漂ってくる華麗なものである。
 雛段の源氏框や紫宸殿は江戸時代から京阪地方で流行している。
 この御殿飾りは標準的な造りでそこに飾られるひなは、古今雛の容姿の内裏雛を中心に、雛人形が配置されている。特に明治後半にきめこまかに考案されたといわれている。




古今雛
(河北町所蔵)
享保雛
(細谷巌家蔵)
有職雛
(河北町所蔵)
 古今雛で、面長な顔、非常に整った装束、都の御所文化への憧れが色濃く示されている。男雛の装束は実に写実的な束帯姿、女雛の宝冠や十二単は、古今雛特有の精巧な仕上げをしている。面立は気品に満ち、均衡のとれた容姿は一層の優雅さを感ずる。  京文化との交流のあかしでもあるひなの一つで、親しみのある表情とともに、ひなまつりを訪れる人々のこころをなごませてくれる雛である。保存もよく、京雛の美しさをいつまでも伝えてくれる享保雛の逸品である。  公家の衣紋様式を写実的に忠実に作られた雛を総称して有職雛という。
 この雛は、その中の狩衣雛と呼び、男雛は、30cmで竹葉地文に上紋浮線綾、袴は 古代紫地に八藤紋浮織。女雛は、23cmで地文亀甲に花紋浮織を着し気品に満ちて いる。箱書に元治元年3月(1864)と記れており幕末の作品である。

立 雛
(国井
一家蔵)
竹田人形
(竹谷義一家蔵)
次郎左衛門雛
(工藤亮輔家蔵)
 雛は、まず紙雛が登場する。男雛は袖を左右に張り、女雛は円筒形で熨斗形の立ち姿 である。後世において室町風俗を模した衣装を着ており裂製のものが作られてくる。 この立雛は、天保12辛丑年(1841)の箱書がある。男雛は、緋菱綾地に枝垂桜 と松の刺繍40cmの高さ。女雛も共衣裳の熨斗形で29cm高さである。  衣裳人形の一種で、大阪竹田の人形芝居をモデルに作られたところから竹田人形と名づけられている。衣裳は一枚仕立てに縫ったものを重ね着し、芝居の姿を再現させたものである。動と静を巧みに表現されて、当時の芝居好みの人々に大流 行した衣裳人形、即ち竹田人形の一つである。台座にもその特徴が見られる。  「引目鉤鼻」の典稚な気品に満ち、王朝文化風の造型をとりいれてい る。作者次郎左衛門は、宝暦11年(1764)に江戸に下り以後30年間次郎左衛門雛は、享保雛に変わって人気を集め広く親しまれている。装束は、有職故実に基づいて仕立てられている。

三人官女
(鈴木玲子家蔵)

五人囃子(雅楽)
(細谷大作家蔵)
享保雛
(安部十一郎家蔵)
 当家には、享保びな一対が所蔵されているところから、 明治の初めにこの雛にあわせて五人囃子、隨身、使丁と共に京都の雛師に作らせたと伝えている。この三人官女も、大きな享保雛と調和し、16尺の天上の和室にマッチした豪華な壇飾となりその中で上品な三人官女の姿が印象的である。
 古今雛(1764〜)が、新たに世に出たのが十代将軍家治の時。しだ いに古今雛が定着した頃に、添え雛として登壇したのが五人囃子で ある。この五人囃子は有職故実にもとづいたところから、有職五人囃子地と呼んでも過言でないと思わ れる。
 1716年に享保に改元、江戸中期で8代将軍吉宗の時代で生活的に安定し文化的にも発達した時でも ある。このときに雛も一段と花開き、豪華絢爛を競いこのての雛が 誕生したのである。装束は金襴地で装い、目は切り目で面長く、公達を思わせる気品をうかがうことができる。


享保雛と段飾り
(細谷巌家蔵)

三人官女
河北町所蔵
隨身
(槙常司家蔵)
 細谷家の段飾りの一部でありますが、上段は享保雛(1715〜)である。以下順に説明すると、有職雅楽の五人囃子、五月人形の神功皇后と武内宿祢、尉婆の面、隨身四段目は「国性爺合戦」外の竹田人形。五段目は機巧人形の「三味を引く女」、「宝運び」、中央が「駒を持つ」、「赤ひもを持つ」御所人形で水引手の頭となっている。  内裏雛の添えびなとして、五人囃子とともに三人官女が雛壇に登壇するのは、江戸後期からといわれている。本品は、明治初期のものか、それぞれの面は個性豊かに作ら れ、思わず笑いを誘う雰囲気をもっている。  江戸後期には、段飾りの様式がにぎやかになってくる。内裏雛を中心に、三人官女、 五人囃子、そして隨身がくわわってくる。それに従来の調度品が飾られる。この隨身も江戸後期の品と思われる。(高さ28.5cm)

親王雛
(升川剛男家蔵)

次郎左衛門立雛
河北町所蔵
御所人形
(細谷大作家蔵)
 この雛は、古今雛に類するものであるが男雛は、雲立桶に鳳凰丸紋の有職雛で、女雛は、典型的な古今雛である。宝冠も古今雛の特徴を表し豪華である。有職雛と古今雛のセットから親王雛の呼称が相応しい。江戸後期の作と推測される。  京都の人形師雛屋次郎左衛門の立雛である。丸顔に引目鉤鼻、おちょぼ口が特徴。衣装は金襴地を和紙に張り、男雛は両袖は左右に張り、女雛は袖と身ごろがいっしょに なっており、帯が巻いている状態がつつましやかに見せている。(男雛32cm、女雛21cm)後世、江戸に招聘され座雛を考案し、武家社会のお雛として風靡することになる。  御所人形も初めは粘土製の人形に胡粉をぬったものであった。その後、木彫の木地に、更に練物(桐のおが屑)に胡粉を重ね塗りし磨きだし、艶やかな白肉肌に仕上げたものである。しかも、人形の美しさを極限に追求した芸術性の高いものである。この人形は、水引手で凛凛しい面だちに、駒を持つ両腕に力がみなぎっている容姿は、男子の逞しさを感じさせる。

古今雛
(槙正敏家蔵)

次郎左衛門雛
(國井
一家蔵)
御殿飾り
(竹谷義一家蔵)
 古今雛は日本橋人形町の原舟月が考案した江戸雛を代表するものの一つである。本品
は江戸中期のものと思われる。装束は色彩豊かにして、享保雛と比較すると極めて写
実的である。
 京都の人形師、岡田次郎左衛門が幕府の御用となったのが宝暦時代といわれる。その次郎左衛門が創案したのが、この手の座雛である。従って武家(諸大名)に流行したもの。有職に近く、顔が丸く、引目、鉤鼻に特徴があり、気品に満ちた面立ちをしている。男雛47糎、女雛は37糎と大振りである。  当家の蔵奥深きところより収納箱が発見。その中に組み立て式の御殿と芥子雛があった。内裏雛は男雛11cm女雛10cmと小さく、本来五人官女であったが、二躰の頭が惜しくも朽ち、三人官女となった。9cm〜10cmの官女で、いずれも可憐な芥子雛である。御殿は痛みがあり今春補修された。

御所人形
(細谷正二家蔵)

有職雛(高倉雛)
(逸見義一家蔵)
古今雛
(高橋長作家蔵)
 江戸時代、御所から拝領された人形を「白肉人形」「白菊人形」「大内人形」等と称していた。明治以降「御所人形」と呼称されたといわれている。本品は三頭身の童子で、最も美しく気品に溢れ典型的な御所人形である。目が細いほど古様とされている。見立て「天下人」と「浦島太郎」である。共に40cm余り  公家の「ひひな遊び」から端を発し、江戸中期(1750〜)に有職故実による装束を雛用に織り着けた、これを通称「有職」と称している。衿元の結び目に糸かがりで「X」とあるものを高倉雛と言う。男雛は狩衣を着用し27cm。女雛は桂袴を着用し24cmの高さ。容姿から見て江戸後期のものと推察される。  江戸上野の池の端に住む大槌屋が、原舟月に頭を彫らせ、新しい型の雛を考案したのが「古今雛」と称している。本品は頭は木彫胡粉仕上げで、容姿は古様式をしており、京都製の古今雛と思われる。装束は共裂地で質素ながら気品がある。男雛は30cm、女雛は26cm。

五人囃子
(竹谷義一家蔵)
古今雛
(高橋煕家蔵)
隨身
(槙孝弘家蔵)
 文政年間(1818〜)に流行した芥子雛の一つである。装束は紅縮緬に金糸で刺繍をほどこした小袖に、深緑地に亀甲梅鉢絞の素襖を着している。打楽器の2躰は10cm外の3躰は8cmで華麗な面立ちと優雅な容貌をしている。箱書も同時代の墨書  古今雛は明和(1764〜)頃、上野池の端の大槌屋が考案した新型の雛が生まれ、以来この手の雛が主流となる。幕末になると雛の技法が改良され、目に水晶やガラスを用い、より美しい玉眼となる。本品は明治初期の作品で、男雛が37cm、女雛は25cm。  隨身は、内裏雛の添え雛として、すでに明和(1764〜72)年間に京都でつくられていたと言われている。本品は頭と冠が一木造りの彫刻で珍しい。掌に弓の弦を通す穴があり、写真のような姿となっている。身丈は32cmと大振りで、隨身の初期的なものと思われ貴重なものである。

古今雛
(林重見家蔵)

五人囃子
(槙孝弘家蔵)
古今雛
(五十嵐栄子家蔵)
 江戸で新型の雛「古今雛」が急速な人気を博した。これに伴って京都でも古今雛が生まれる。本品はその一つで頭や手が木彫で明和期に近い作品であろうと思われる。男雛12cm、女雛11cmとなっている。
 京都では隨身。江戸では五人囃子が生まれる、明和(1770代)の後に造られたと言われている。それぞれの丸顔の童顔は微笑ましく、楽しい表情をして人の心をとらえてやまない。古風な容姿、素襖の車絞様の織で統一された裂地も古く、初期的な五人囃子と思われる。(鼓役は34cm、外は28cm)  本品は、装束の裂地や容姿からみて、大正期の作品と思われる。男雛は錦地の束帯を着し、冠纓を含めて43cmで、女雛は十二単、単の端袖の刺繍は「祝花篭」の縫いとなっている。

立雛
(河北町所蔵)
御殿飾り
(林重見家蔵)
享保雛
(細谷正二家蔵)
 雛人形の源流は、信仰から生まれた「形代」に始まる。更に「形代」から「あまがつ」と「ほうこ」へと発達し、次に立雛が室町期以降に生まれてくる。江戸初期迄つづき、座雛が生まれてから減少。江戸後期に再び立雛が好まれるようになる。本品は江戸後期の作で、厚地に裂地を貼り紋様を胡粉で置いたものである。(男雛25cm、女雛20cm)

 明治10年(1877)第1回内国勧業博覧会が開かれ、節句行事が復興してくる。「古き佳き時代」を懐かしむ風潮が、各家庭で盛んになったと言われている。従って壇飾り創作や、御所の寝殿造りと雛飾り等が盛んになる。本品は高さ124cm幅141cmの大型の紫宸殿を見立てたもので、明治中期頃の御殿である。  本品は、男雛33cm、女雛30cmの大きさで、男雛の両袖がぴんと張っており、享保雛の特徴と威厳のある姿をしている。男雛の束帯と女雛の唐衣は、紺地に「飛雲の龍紋」の金襴地の共裂を用いている。

御殿飾り
(細谷巌家蔵)
享保雛
(兼子昭平家蔵)
古今雛
河北町所蔵
 本品は紫宸殿・渡り殿・常御殿の様式から成り、大正初期につくられたものである。内裏雛を始め三人官女ともに芥子雛である。御殿は巾138cm、高さ75cmの大きさで、両サイドに桜と橘が配置されている。また渡り殿の前庭に矮鶏が遊ぶ。

寛永雛・元禄雛の時代が過ぎて、享保(1716〜36)頃に入ると工芸的要素に技術が進み、大型雛が町家の間に流行する。これを享保雛の名で呼ばれる。本品もその一つである。男雛47cm、女雛42cmで、共に紫地の金襴地の装束を着ている。
 古今雛は明和(1764〜)の頃、江戸池の端の大槌屋が、原舟月に顔を彫らせ、有職雛にヒントをえて、新型の雛が世に出ることになる。古今雛は従来の雛とことなり写実的で容姿も美しい。本品は38cmの男雛を40cmの女雛で、舟月の作と思われ端正な容貌をしている。

五人囃子
河北町所蔵
古今雛
(兼子昭平家蔵)
隨身
(細谷正二家蔵)
 江戸で作られた五人囃子は、袴も着けたものと、素袍を着けたものと二種類があった。本品は素袍の五人囃子である。緞子の小袖に、紺地飛雲紋の金襴地の素袍をつけている。面立ちは丸顔で可愛い童顔である。明和時代(1764〜)頃の作と思われる。(中腰の人形は34cm・座っている人形24cm)

 古今雛は京都においても制作され、町家あたりで新型のお雛さまとして流行をみる。本品のような容姿をした古今雛が、この地方にも多く、京阪の交易によってもたらされたものと推察される。(男雛30cm・女雛28cm)で、頭は木彫である。
 明和(1764〜)頃になると、近衛の舎人を模した隨身が京都で生まれている。本品は頭が木彫胡粉仕上げの威厳ある面立ちから見て、初期的段階の作品と思われる。(高さ31cm)双方とも緞子の束帯を着けている。

享保雛
(長嶋匡一家蔵)
有職五人囃子
(槙清哉家蔵)
古今雛
(槙清哉家蔵)
 享保6年(1716)御触書によって、雛の寸法を8寸(24cm)と定め、大型の雛製造が禁止される。本品はその後の作品で、容姿は享保雛の特徴が十分に生かされている。頭も木彫りで美しい。(男雛29cm)

 本品は、雅楽を奏でる五人囃子で、寛政(1782〜12)時代に京都で制作されたものである。楽師たちの装束は、顕紋紗の狩衣に立烏帽子姿である。右側より鞨鼓・竜笛・笙・琴・楽太鼓を奏でている。頭はすべて木彫、胡粉仕上げとなっている。(高さ27cm)  本品は、京都製の古今雛である。男雛は両肘を張って威厳を現し、女雛の端袖は紅縮緬にぬいとりを施し、その美しさを誇張している。頭は木彫に胡粉仕上げとなっており、古今雛の初期の作と思われる。

享保雛
河北町所蔵
絵草紙
(桜井正太家蔵)
古今雛
(槙邦彦氏蔵)
 享保雛は江戸中期、八代将軍吉宗時代当初の作で、町家や豪商あたりで飾られた。金襴地や錦地の裂地でつくられた装束は、豪華絢爛を競ったものである。本品は男雛42cm、女雛37cmで、享保雛では中型といえよう。      江戸中期の雛飾りの姿が偲ばれる軸装である。茵の上に座ったお内裏さまは古今雛で、両サイドに犬筥が置かれ、お供え物も整然と捧げられている。ちなみに、内裏の配置は、「天子南面にして、日の出づる方を上位とする」という故事にもとづいている。  明和(1764〜)の頃江戸日本橋人形町の雛職人である原舟月が、池の端の大槌屋の要請により新型の雛を開発、これを「古今雛」と称し世に送り出し大変な好評を博する。
 本品は、原舟月の作と思われる。女雛の装束の端袖は、幸菱の単を表し、宝冠は簡素ながら瓔珞が美しい。

初参稚児人形
(鹿野和夫氏蔵)
古今雛
(影澤照也氏蔵)
享保雛
河北町所蔵
 紅縮緬の振袖に若松と梅花。鶴を刺繍した晴着に、袴をつけた稚児人形で、初春に行儀よく正座した姿は可憐である。頭髪はもともと稚児髷であったようである。高さは11cm。      本品は江戸後期の作で、玉眼である。男雛の束帯と女雛の表衣は共切れで作られているが、唐衣が大きいため垣間に見えるようになっている。面立ちは美しくおごそかな容姿をしている。  江戸中期の享保期(1716〜35)に発達した町方の内裏雛として京都に生まれる。本品は享保6年(1721)触書によって、雛の寸法を約24cmまでと定められた後の作品であろう。紺地金襴の共裂で装束をつくり面立ちは気品に満ちていて、均整がとれていて優美な雛である。

五人囃子
(鹿野俊朗氏蔵)
隨身
(鈴木昌之氏蔵)
三人官女
河北町所蔵
 寛政12年(1800年)に出版した「戯子名所図会」にすでに雛壇にあらわれているように、江戸後期に五人囃子が世に姿を現す。本品は、その頃の五人囃子であろう。
 頭は童顔で切り目囃子方の特徴をあどけなく表現している。紅縮緬に海辺の松原と帆掛け船の刺繍を振袖に、牡丹唐草紋の裃を着けている。高さ23cm。  
 隨身は明和(1764〜72)の頃すでに京都で生まれていたと言われている。本品は、冠と一木づくりの面、目は切り目で威厳のある面立をしている。束帯は、向って右が上位で従四位以上の黒袍、向って左が下位で五位以下の赤袍の有職を見立て、色別した緞子の生地でつくられている。隨身の初期段階の作品と推察される。  天保(1830)頃になると初めて官女が雛段に飾られてくる。従って三人官女は江戸後期が初見となる。本品は明治期の作と思われ、有紋の振り袖に緋長袴を着け、中央の留袖の官女は既婚者を表すと言われている。

古今雛
(鹿野俊朗氏蔵)
享保雛
(槙 真司氏蔵)
古今雛
(鹿野和夫氏蔵)
 本品は、明治初期の作で、一般的に江戸雛と称している。女雛の端袖は、フランネルの着地に刺繍をほどこしている。融和な面立をしている。   享保雛は、元禄雛の流れを汲んで、装束は金襴や錦の裂地を主流に仕立てている。元禄以降の太平を謳歌するかのように、雛も豪華絢爛となっていく。容姿も独創的に大型化する。享保6年の御触書によって寸法に制限が定められる。本品はその時の作品であろう。  本品は、江戸後期の初め頃の作品で京都製である。束帯と女雛は共裂でつくられ、男雛の表袴は露文、女雛の袴は紅縮緬地で縫製されている。面立ちは切れ目で曲雅な容姿をしている。

古今雛
(竹谷義一氏蔵)
内裏様の掛物
(桜井正太氏蔵)  
立雛
(槇 孝弘氏蔵)  
 本品は、京都製で江戸後期であるが、古今雛の初期的な作風と思われる。紺地金襴地の束帯と女雛の表衣は共裂を用い、特に女雛は、王朝時代の女性の玉座と言われる右膝を立てているのが珍しい。
 本品は、作者不明であるが、時代考証を明らかす貴重な作品である。
  奥に屏風が見え、その手前に一双の几帳を絵き、繧繝縁の高座に、「天子南面して日の出づる方を上位とする。」その故事に基づいて、向って右を男雛。向って左を女雛とする飾り方に基いていることが伺える。
 立雛は室町以降江戸初期ごろまでは、雛の主流をなしている。和紙を材料に、金泥で塗りつぶし絵を画く。或いは、胡粉の置上げなどもある。江戸後期になると和紙に布を裏打ちし一層芸術性を高めていく。本品は山辺町出身の彫刻家石川確治の作品である。(石川氏は、芸大卒昭和31年75才他界)男雛26.5cm 女雛は19.5cmで可憐な作品である。

享保雛
(河北町所蔵)
三人官女
(槇 孝弘氏蔵)  
享保雛
(兼子昭平氏蔵)
 太平の元禄が過ぎ、享保年間になると文芸や文化、経済面でも一段と花開き、雛も大型化が流行する。この手の雛を「享保雛
」と呼ぶ。金襴地を用い豪華な雛で、40cm〜70cm位までの大型の雛である。本品もその一つで、高さ65cmと大きい。
 白二羽重の小袖に、赤の長袴姿の女官。即ち、三人官女で殿上人にふさわしく、気品のある面立ちをしている。中央は島台、向って左が提子・右が長柄銚子を持っている官女で大正期の作品であろう。高さ20cm  江戸中期の享保(1716〜)時代に流行したものといわれており、装束は金襴や綿地をつかった豪華絢爛たるものであった。冠や天冠を別作りとなり、40cm〜90cmぐらいに大型化し、豪商豪農の間に普及したものといわれる。本品は、男雛が42cm紺地に牡丹紋の金襴地を用いている。

享保雛
(小野家蔵)
元禄雛
(槇孝弘氏蔵)
雅楽五人囃子
(細谷次朗氏蔵)
 享保雛は、江戸中期(1716〜)に、町方の雛としてつくられ、贅をつくしたものであった。享保6年享保改革のお触れがあり、雛も影響をうける。製作にあっては高さ八寸以下と厳しい制約をうけることになる。本品はそれ以後の作品であろう。(高さ22cm)  本品の頭は非常に古く、冠と頭が一つで髪も冠も墨でぬっている。女雛も同様で、天冠はつけていないのが、この時代雛の特徴である。容姿は享保雛に近い。したがって、時代的変化をうかがうに貴重なお雛さまといえる。男雛は18.2cm  五人囃子は、天明(1781〜)ごろに作り出されたといわれている。主体は雅楽の囃子方を模したものが江戸で作られる。その後寛政(1789〜)ごろ京都で、雅楽五人囃子が作られたものらしい。本品は瓢箪唐草紋の装束姿に冠をつけている。高さは24cm京都製

古今雛
(細谷次朗氏蔵)
五人囃子(有職)
(細谷次朗氏蔵)
古今雛
(今田吉兵衛氏蔵)
 古今雛は明和(1764〜72)のころ、江戸の大槌屋が人形師原舟月に作らせ売出したものである。有職雛に見せられた舟月は、精巧ないきいきとした写実性を表現。衣装は金襴や綿地を主流に用いる。当時の婦女子を熱狂させたのである。本品は高さ29cmで女雛の端袖は有職の幸菱紋の単を用い、容姿からして原舟月系の江戸雛である。江戸製
 寛政(1789〜)ごろ京都に有職の雅楽五人囃子が生まれる。本品は平均して11cmの高さであり、芥子雛の一種である。向って右から説明すると、羯鼓・龍笛・笙・琴・楽太鼓の順となり、楽師は有紋の装束に冠りをつけている。  古今雛は、原舟月によって考案されて以来爆発的な人気を呼び、全国的にこの手の雛が売り出されて行く。
 特徴としては、幕末になると玉眼と称しガラスを入れるようになる。また女雛の端袖に金糸などで縫い紋をほどこしてある。
※本品もその一つである。高さ23.5cm
 江戸後期

古今雛
(槇 邦彦氏蔵)
古今雛
(斎藤祐市氏蔵)
立雛
(兼子昭平家蔵)
 江戸幕末は世情不安の時、この時期は雛の裂地確保も容易でないときであった。一般的に幕末から明治初期の作品は簡易なものが多い。本品は23cmの高さで、江戸製である。

 江戸後期に端を発し、庶民の関心が高まり、明治初期まで、雛人形の主流をしめた内裏雛が古今雛である。本品は幕末ごろの作品と思われる。高さ23.5cm江戸製  紙雛(立雛)は室町時代(1500代)に端を発していると言われ、江戸時代には和紙に裂地を貼り装飾的な趣をもつようになる。本品は、江戸初期の作品と思われ、頭はねり製で、胡粉仕上げの丸顔に、細い線で目、鼻、眉を描き、朱点の口をつけている。衣装は泥絵具の摺り文様となっている。男雛の高さは20cm。

初参稚児
(某家蔵)
元禄雛
(兼子昭平家蔵)
享保雛
(河北町紅花資料館蔵)
 親王家の子弟が初めて御所に参内したときに、お上から頂戴する人形であったと伝えられている。
 紅地に刺繍文様の振袖を着け、稚児輪に結い上げた公家の子息の姿である。御所人形に通う高貴さがうかがえる。高さは16cm

 従来の立雛から造形的な発達をみせ江戸初期の座雛が生まれる。これを寛永(1624〜28)雛と称している。この寛永雛の流れをくんで新しい様式の雛が誕生した。特に女雛の両腕の位置が写実的になり、典雅な京雛の面影を表現するようになる。これを元禄雛と称している。本品はその時代のもので、男雛の高さは、18cmである。  江戸初期の寛永雛に端を発し高級化したものが享保雛である。特徴は人形が大型化し、高さ約45cmから90cm(本町にあるもの)位まで幅広くある。目は切長、少し口を開き立体感があり、面や手は見事な胡粉仕上げで艶やかな美しさをもっている。男雛は両袖を張り、女雛は五つ衣、唐衣、裳を着け、袴には綿を入れ丸くふくらませている。双方とも冠りや宝冠をつけるようになる。本品は紺地金襴の共裂、高さ65cmである。

五人囃子
(槇則吉家蔵)
使丁
(某家蔵)
三人官女
(某家蔵)
 五人囃子は、天明(1781〜8)期に製作されたもの。裃をきたものと素袍を着けたものの二種類がある。本品は後者の素袍を着けた五人囃子であるが、幕末に流行した芥子雛の一つで、6cmから9cmの高さである。

 明治6年1月、「今般改暦に付、五節を廃し云々」との達しがでて、太陽暦採用となる。文明開化が進む一方では、維新後、節句飾りは急激に衰えた。明治20年ごろから旧来の節句の復興のきざしが現れてくる。明治30年代に使丁も雛壇に仲間となる。本品はその時代のもの。作者は大木平蔵師(京都)である。
 三人官女が「ひな」の添え雛として雛壇に登場するのが、化政時代(1804〜29)といわれている。白地小葵綸子の小袖の官女は、眉を剃った既婚婦人。他の二人は振袖姿、眉はそのままで未婚をあらわしている。明治中期の作品で人形師大木平蔵師作である。高さは23cmである。

現代 次郎左衛門雛
(河北町紅花資料館蔵)
古今雛
(河北町紅花資料館蔵) 
直衣雛
(河北町紅花資料館蔵)
現代 次郎左衛門雛 古今雛 直衣雛
 本品は古典京雛の名匠といわれる初代大橋弌峰師の作品である。宝暦、明和のころに流行した次郎左衛門雛の特徴を忠実に復元したものである。その特徴とは、その顔にある。引目、鉤鼻の面相でこのような丸顔を、次郎左衛門雛と称している。高さ26cm
 江戸上野池の端の雛人形問屋が、明和(1764〜72)のころ、日本橋十間店の人形師、原舟月につくらせたのが始まり。面長な顔は、御所文化への憧れが偲ばれる。初めは切り目であったが、需要の拡大とともにガラスや水晶をはめこむようになる。衣装は金糸、色糸で縫紋を加工、女雛の小袖に刺繍をほどこすようになる。本品は単が幸菱の地模様で、古今雛の初期的要素がうかがえる。高さは35cmである。 本品は大橋弌峰師(初代)作の有職雛で、確かな時代考証に基づいた見事な一品である。男雛は直衣という装束 、女雛は袿袴を着用している。特にこの雛の装束は本金手職を使用している。男雛が冠をつけているところから、 衣冠雛とも言えるであろう。高さ24cm。

裃雛
(河北町紅花資料館蔵)
古今雛
(河北町紅花資料館蔵)
古今雛
(河北町紅花資料館蔵)
直衣雛 直衣雛 古今雛
 裃人形は、さいたま市岩槻に生まれたもので、裃を着用、両手を袴のところに行儀よく組んでいる。頭は童顔で目は大きく玉眼で、口元は含み笑い可愛い表情をしており、1830年代に岩槻元祖雛として考案されたのが裃雛である。したがって江戸後期に雛壇に飾られるようになる。  古今雛は明和(1764〜)の頃に原舟月によって考案された、新型の雛であった。その流を汲んだ雛で、明治初期の江戸雛であると思われる。古今雛としてはシンプルな作品である。女雛の宝冠が失われているのが残念である。  明和4年(1768)後桜町帝の時に、京都の人形師伊藤家を「有職御人形司」に命じている。有職雛の固定化した座雛へと変還していく。その後京都製の古今雛が誕生する。本品はそのころの雛で切目の刻、気品に満ちた作品で、高さ35cmの雛である。
立雛
(須藤家蔵)
古今雛
(小和田 仁氏蔵)
享保雛
(槙 孝弘家蔵)
立雛 古今雛 享保雛
 立雛は白い紙雛(白紙の形代)を色紙で作るようになり、さらに進んで立雛となる。
  本品は、和紙に生地を貼り、呉粉等で絵付をいたしたもので、男雛の頭は冠と一本造りで胡粉仕上げとなっておる。この手は寛文(1661〜)ごろの雛と推察される。男雛で27cmの高さとなっている。
 古今雛は、明和(1764〜72)のごろ日本橋の原舟月の考案に端を発し、新型の内裏雛となって歓迎され流行していく。江戸で開発され、併せて京都でも製作される。本品は京都製で、顔は下ぶくれで衣裳もシンプルに表現されている。高さは26.5cmで、江戸末期の作と思われる。  内裏雛が年々精巧に作られ、女雛には天冠を置くようになる。しかも40cm以上と大型化してゆくことになる。装束は金襴や錦地が主流である。本品は享保雛の前期の作と思われ、男雛の後背に石帯をつけ、白い自然石で作られている。高さは49cmと大型のものである。


五人囃子
(兼子昭平家蔵)
明治雛
(須藤家蔵)
五人官女
(河北町紅花資料館蔵 )
立雛 古今雛 享保雛
 寛政前後に石井士彭が著した「東都歳時記」に、少年鼓者と表現されており、これは五人囃子のことであると言われておる。従って五人囃子は少年の凛しい衣裳姿を表現されている。本品は江戸後期の作で、素袍姿で鳴り物を打つ手は上着をはずしており、可憐な姿をしている。高さ25cm。  本品は、明治後期に造られた古今雛である。作者は京都の大木平蔵(丸屋)作の内裏雛で、衣裳(装束)も見事で、男雛の束帯は有職雛に近く典雅な容姿をしている。男雛は30cmの高さで、女雛の宝冠は美しく冠卓に別おきにしている。  官女は、江戸後期に雛壇に姿を見せるようになる。1820年代頃、一陽斎豊国の描いた絵によって知られる。本品は五人官女で明治初期頃の作品で、ユニークな容姿をしており面白い。堀米家旧蔵のもので町に寄贈を受けている。

隨身
(小和田 仁氏蔵)
有職五人囃子
(細谷次郎家蔵)
古今雛
(河北町紅花資料館蔵 )
立雛 古今雛 享保雛
 隨身は、寛政(1789〜1800)時代に京都で開発されたものである。隨身は御所を警護する近衛兵であるため、弓矢・太刀を身につけた武士である。本品は王朝時代の服装(闕腋の束帯姿)を着けており、高さ26cmの江戸末期の作である。  江戸後期の寛政(1789〜)ごろ京都で、有職の雅楽五人囃子が生れる。本品は平均して11cmの高さであり、向かって右から琴・龍笛・羯鼓・笙・楽太鼓の順となり、冠をつけた五人囃子は珍しく、芥子雛の一種である。  古今雛は明和(1764〜)時代に、江戸の上野池の端の大槌屋が考案し、人形師原舟月に顔を彫らせ原型を作ったのがはじめである。以後江戸中心に生産され流行したのである。本品も江戸で作られ面長な顔と容姿が美しい。昭和初期の作で30cmの高さである。

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