町の概要

更新日:2023年03月31日

河北町のパンフレット

町の概要や魅力を紹介するため、写真や文章でわかりやすくまとめた総合パンフレットを作成していますのでご覧ください。

町の概要

町の位置

 河北町は、山形県のほぼ中央にあって、万年雪を抱く月山や、雄大な朝日岳、さらには、樹氷で有名な蔵王を遠くに望みながら、山形県の母なる川、最上川と清流寒河江川に囲まれた、風光明媚な環境の中にあります。
 山形空港を表玄関とし、山形新幹線さくらんぼ東根駅、山形自動車道寒河江インターチェンジからは車で15分の距離にあり、東北中央自動車道東根インターチェンジからは、わずか7分のところです。

町の歴史

 この地方の開発は、平安時代初期に始まり、寒河江に入部した大江広元が領有しました。1390年頃、中条秀長が入部し6代にわたり谷地郷の開発に尽力し、後に、白鳥十郎長久が谷地城を築いて谷地本町を形成しました。白鳥十郎長久が最上義光に誘殺され、さらに大江広元の子孫高元も滅ぼされると、以後この地は最上家の統治下にはいりました。最上家の改易後は北部は戸沢藩領、中部以南は幕領山形藩領となり、幾遍歴を経て明治を迎えると、行政区改正により、西里村、谷地村、北谷地村、溝延村がそれぞれ生まれました。谷地村は谷地町となり、河北地方の中心となりました。昭和29年には谷地町、西里村、溝延村、北谷地村の1町3村の合併により「河北町」が生まれました。後に、元泉地区、荒小屋地区が編入され現在に至っています。

町のシンボル

黄色のたんぽぽの花畑の写真

 本町は、早くから水田が開発され、米と紅花を中心に地域の振興を図り、最上川の舟運によって上方文化と直結しながら、優れた文化遺産を残してきました。
 寒暖の差が激しい盆地特有の内陸性気候と、紅花栽培に最適と言われる最上川の気象条件を背景に、室町時代の昔から紅花が盛んに栽培されました。特に江戸時代から明治初期にかけて、最上川の舟運により紅花の集散地として栄えました。収穫された紅花は、最上川を酒田に下り、そこでいったん北前船に積みかえられ日本海を渡って敦賀に上陸。さらに、琵琶湖・淀川を経由して京都・大阪に送られ、最上紅花の名声を全国にとどろかせました。当時は全国の生産量の半分を占めたといわれています。紅花を上方に運んだ船は、返り荷として生活必需品をはじめ、多くの上方文化をもたらしました。人々のあこがれの的であった紅花染の衣装、女性の唇を愛らしく彩った紅ちょこ、陶磁器、享保雛・古今雛・竹田人形・御所人形などの人形たち…、これらがみちのくの地に根強く生き続けながら、今ここに新しい形で花開いたのです。

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