スリッパ
河北町内で生産されるスリッパは生産量全国一を誇り、家庭用の実用品から有名デザイナーが手がけるブランド品も開発・生産しています。
地場産業としての歴史とノウハウに裏付けされた、輸入品とは一線を画す品質、そして国の「グッドデザイン賞」「やまがたエクセレントデザイン賞」の受賞歴など、デザイン面も含め全国で高い評価を得ています。
現在、この「日本一の地場産業」であるスリッパ産業を全国に発信していくため、町内のスリッパメーカーや商工会、町が連携し「かほくスリッパ」としてブランド化に取り組んでいます。
草履作りから、村役人の発明を経て発展した地場産業

明治時代より、河北町の主産業は農業であり、農家のほとんどが農業の合間や冬期間などに副業として稲わらで草履を作っていたため、河北町は草履の一大産地でした。
地元役人によるイノベーション
明治22年に、当時の村山郡大町村(現河北町谷地・大町地区)出身の村役人だった「田宮五郎」氏が草履の圧搾機械を発明したことを契機として、飛躍的に生産量が伸び、草履作りが地場産業として発展を遂げたのです。
スリッパへの産業転換
その後、生活様式の変化に伴い、昭和40年頃から草履作りがしだいにスリッパ作りへと移行していきます。昭和48年には、町内のスリッパメーカー25社を中心に、県内外の会社を含め33社から構成される「山形県スリッパ工業組合」が設立されました。
昭和50年代には日本一のスリッパ生産地となり、昭和63年には全国生産量の約3割を占めるほどになりました。
輸入品の台頭による危機
しかし平成に入ると、中国などでつくられた安価な輸入品のスリッパが数多く売られるようになり、国内産のスリッパ業界に大打撃を与えました。
このため、組合へ加盟するスリッパメーカーは、平成25年には6社まで減ってしまいました。
「何とかしなければ、町のスリッパ産業がなくなってしまう」
どの会社でも危機感が募っていました。
そんな中、山形県スリッパ工業組合の阿部弘俊組合長(当時)を動かしたのは「なぜ山形で作っていることをもっとアピールしないのか」という顧客からの一言でした。
そこで、阿部組合長は、最上川や紅花などのイメージをデザインした統一ロゴマークを作ろうと発案したのです。
それまでのスリッパ業界は、各社でそれぞれ独自の取り組みを行ってきました。
しかし、各社が「スリッパ業界の生き残りをかけて協力する必要がある」という共通認識が生まれたのです。
何度も話し合いの場を設け、平成26年にロゴマークを完成させました。
以来、各社の商品タグと一緒にこのロゴを付け、「かほくスリッパ」の普及を図っています。
「かほくスリッパ」ブランド化、進行中!!
平成28年度には、山形県スリッパ工業組合が東北経済産業局の「TOHOKU地域ブランド創成支援事業」の採択を受けました。
現在も、さまざまなプロフェッショナルと連携しながら「かほくスリッパ」のブランディングへの取り組みが進められています。
販売場所
現在、町内では紅花資料館の物産館とアグリランドひな産直センターでスリッパ工業組合の各社が作ったかほくスリッパをお買い求めいただけます。
【お問い合わせ】
河北町商工会 電話:0237-73-2122
更新日:2023年05月02日