白鳥十郎墓碑

更新日:2023年03月31日

白鳥十郎長久のこと

白鳥十郎墓碑

白鳥城址(手前は村山市立戸沢中学校)

谷地城主白鳥十郎長久が、山形城主最上義光に謀殺されたことは余りにも有名で、昭和62年にNHKで放送された大河ドラマ『独眼流政宗』の中でも放映されました。
当時は戦国時代の末期で、織田信長が天下を平定しかけたころです。
白鳥十郎長久が中条家の後をうけ谷地に入部したのは、伊達家(仙台)と最上家(山形)が対立していた永禄年間(1558年~1569年)といわれています。中条家の意志でもあった谷地城構築の事業を引き継ぎました。その規模は寒河江城・山形城に劣らぬ ものでした。 

最上家は”国盗り物語”時代に、勢力をのばしてきた白鳥家を滅ぼそうとして、まずは政略結婚一応の親和をはかりました。そして、瀕死の重病といつわって十郎を枕元に呼び寄せ謀殺したのです。間もなく、寒河江大江家も最上家に滅ぼされて白鳥家同様滅亡することになり、最上家は最上川西岸一帯を支配。後に、57万石の大大名になったのです。謀殺されたときの「生き証人」として、十郎の返り血をあびた桜の木が現在の霞城公園(山形城祉)内にあったと語り継がれています。

東林寺

東林寺

白鳥十郎長久公の供養塔

白鳥十郎長久公の供養塔

白鳥十郎長久滅亡後、白鳥家の菩提寺種林寺の後をついで、東林寺が位牌を安置し霊を弔っています。