いもこ列車

いもこ列車の歴史

いもこ列車は、谷地の事業家升川勝作氏により、地域振興のために計画され、大正4年に「谷地軌道株式会社」が設立されました。翌5年の2月からは県内の私鉄第1号として運転が開始されました。谷地から神町間の5.8キロを時速25キロメートルほどで30分かけて走り、最盛期には年間約10万人もの人を運びました。しかし、昭和の初め頃から自動車による輸送にその役目をとって代わられるようになり、昭和10年10月に廃止されました。その間約20年間、「いもこ列車」と呼ばれ親しまれ、この地方の重要な交通機関として活躍しました。
その後、この史実に基づき、河北青年会議所の皆さんが「子どもたちに夢を、また、町の活性化のために」と、同型の機関車を台湾から購入して、昭和63年10月に町に寄贈しました。町では、河北中央公園に動態保存しながら年6回一般公開を行っています。

いもこ列車の「いもこ」とは?

いもこ列車が運行していた当時の家々は、茅や萱葺きの屋根が多く、機関車の煙突から出る火の粉で火災になる危険性がありました。そこで、火の粉が飛ばないように煙突にカバーをして走っていました。その煙突の形がいもこ(=山形弁で里芋のこと)によく似ていたことと、里芋のように小さな列車ということで「いもこ列車」とよばれたのです。

いもこ列車(蒸気機関車)の概要

型 式  ベルギー製 コッペル型(0-6-0) 車号347
 製 造 年 1948年(昭和23年)
軌 間 76.2センチメートル(センチ)
長 さ 5.50m
高 さ 2.85m
車輪直径 72.6センチメートル
重 さ 空車時 12.5t 運転時 16.0t
水タンクの容量 約3立方メートル
燃 料 木、石炭、豆炭